ウィーンに滞在中、ゼメリング鉄道に乗車しました。
ゼメリング鉄道はオーストリアのゼメリング峠を超えるヨーロッパで初めて標準軌を採用した山岳鉄道で、鉄道全体が1998年に世界文化遺産に登録されています。
ウィーンから近いので日帰りで訪ねてみました。
ウィーン・マイドリング駅
ウィーン市内の滞在中のホテルからUバーン6号線でウィーン・マイドリング駅へ。
ここからÖBB(オーストリア連邦鉄道)でパイエルバッハ・ライヒェナウ駅に向かいます。
ÖBBの列車は2階建て車両だったので眺めが良かったです。
ヨーロッパの列車は2階建て車両が多く、物珍しさもあることから大きな荷物さえなければ、2階席を利用することにしています。
ウィーナー・ノイシュタット(Wiener Neustadt)駅に停車中の様子。
ここで乗客の大半が降りていき、終点まではガラ空きとなりました。
パイエルバッハ・ライヒェナウ駅
ウィーン・マイドリング駅から1時間20分程でパイエルバッハ・ライヒェナウ駅(Payerbach-Reichenau Bahnhof)に到着しました。
隣のホームに停車中の白と青の古めかしい電車に乗り換えてゼメリング駅を目指します。
ちなみにゼメリング鉄道の起点は、ひとつ前のグログニッツ駅となります。
グログニッツ駅には世界遺産であることを示す碑文が掲示されていました。
ここ、パイエルバッハ・ライヒェナウ駅でゼメリング鉄道に乗り換えますが、時間があったので駅周辺を散策することにしました。
ホームと駅舎は地下通路でつながっています。
駅舎は小ぢんまりとしたものですが、石造りで堂々としたものでした。
駅には皇帝フランツ・ヨーゼフなどハプスブルク家の肖像がパネルで展示されています。ドイツ語はわからないので何が記されているのかは不明。
ウィーンを出る際に、現地で何かを食べようと思って出てきましたが、駅構内はガランとして売店などありませんでした。また駅前に店などもありません。
仕方なくグミの自販機があったので、それで小腹を満たします。
駅前広場はちょっとした交通博物館になっていました。
ゼメリング鉄道の急勾配を克服する蒸気機関車は、鉄道建設工事着工の2年後に競技会を開催して使用する機関車を選んだそうです。
この95-112という機関車はかつてゼメリング鉄道を走っていた機関車なのでしょうか?
1853年10月23日、機関車が初めて全ルートを走りました。16時。1854年5月17日、天皇と皇后両陛下が鉄道を運転し、1854年7月17日、鉄道は儀式的に開通し、一般の乗客に引き渡されました。今日までのルートはあまり変わっておらず、最も長いトンネルであるSemmeringトンネルだけを再建する必要がありました。水の浸入により、トンネルの一部が崩壊する恐れがあったため、1952年に長さ1511.5mの新しいトンネルが開通しました。再構築する必要がありました。水の浸入により、トンネルの一部が崩壊する恐れがあったため、1952年に長さ1511.5mの新しいトンネルが開通しました。再構築する必要がありました。水の浸入により、トンネルの一部が崩壊する恐れがあったため、1952年に長さ1511.5mの新しいトンネルが開通しました。
この不思議な形をした機関車はオーストリア・ヘレンタール鉄道の機関車です。
ヘレンタール鉄道は線路幅が760 mmの狭軌鉄道で、パイエルバッハ・ライヒェナウ駅から、ライヒェナウ・アンデアラックスを通ってヒルシュヴァングまでの約5キロを結ぶ小さな鉄道で、開業は1979年と比較的新しいです。
バッテリーロコにパンタグラフを載せるため、無理やり屋根を増設したかのような形状をしています。
ヒルシュヴァング駅からさらに上流部へと向かうと、ラックス・セイルバーンというロープウェーがあります。
そこで使われていた古い搬器も展示されていました。
こちらはアルプスではお馴染みのポストバスの古い車体です。
現在はÖBBの子会社が運営しており、車体の色も特徴的な黄色からメタリックグレーのような色に変わっています。
クラシカルなデザインが格好良いです。
シュヴァルツァタール高架橋
駅から少し足を伸ばせば、ゼメリング鉄道の構造物に接することが出来ます。
谷をひとまたぎするシュヴァルツァタール高架橋( Schwarzatal-Viaduct)です。
橋の下には歩道も併設されており対岸に渡れます。
ゼメリング鉄道は「技術と自然の調和がとれた組み合わせ」が特徴で、急峻な山肌を蛇行し、橋や高架橋で谷を渡り、15のトンネルで岩山を穿ち峠へと駆け上がっていきます。
橋脚には高架橋の説明を記した案内板が設置されています。
ゼンメリングをどのように征服するかという問題について、専門家の間で激しい議論がありました。この文脈では、カール・フォン・ゲガスの個性と技術的天才が生まれます ゲームで。米国への研究旅行の後、生まれたベネチア人は、よく考えられたレイアウトで山のサドルを横断することであった粘着鉄道としてSemmering手すりを設計しました。1848年、ウィーン革命の印象を受け、失業を緩和するために、ゼンメリングラインの建設計画が承認され、カールゲガが建設管理を任命されました。わずか6年という記録的な時間で、Semmeringルートはヨーロッパで最初のフルゲージの登山鉄道として建設されました。困難な地質条件、峡谷、山の尾根により、線路を敷設することが困難になり、トンネルの追加建設、高架橋や橋は避けられませんでした。最大2万人の労働者が建設に忙しく、数台の建設機械と低爆発力の黒色火薬しか装備されていませんでした。約1,000人が事故で命を落としましたが、特にチフスとコレラで命を落としました。
ドイツ語の案内板もあります。
長さ228m、高さ25mということなのでしょうか。
高架橋の下には昔のレールバスが展示されていました。
丸みを帯びて可愛らしいデザインです。
しかし最近のストリートビューを見ると、この場所は更地となってこれらの車体は跡形もなくなっていました。
ゼメリング鉄道
パイエルバッハ・ライヒェナウ駅に戻ります。
券売機でゼメリング駅までの切符を購入します。
英語表記も出来るので難なく購入可能。
ゼメリング駅に向かう列車に乗車します。
ÖBB class 4020 という電車です。
3両編成の車内は閑散としていました。1両貸切状態です。
駅を出ると大きく左にカーブして、先程まで見上げていたシュヴァルツァタール高架橋を渡ります。
ぐんぐんと高度を上げていきます
ゼメリング鉄道は、当時はあり得なかった457 mの高低差を克服しました。最高点は896mです。
ルートは約41km、16の高架橋(そのうちのいくつかは2層構造)、15のトンネルでカバーしています。
橋などの構造物に鉄は使用されていません。
橋とトンネルが連続する山岳鉄道らしい車窓が展開します。
ゼメリング駅
ゼメリング駅に到着です。
駅舎のある側のホームに到着しました。
列車はトンネルを超えた先にある、終点のミュルツツーシュラーク駅へと向かっていきました。
ここゼメリング駅も何もありませんでした。
夏季であれば案内所が開設されるそうですが、3月はまだ冬季休業中のようです。
駅前に至ってはパイエルバッハ・ライヒェナウ駅以上に何もありませんでした。
お腹が空いたので、ここにもハリボの自販機があったのでグミを食べます。
決してグミが好物という訳ではありません。ガムや飴と比べれば、お腹にたまりそうに思ったからです。
駅の標高を示す看板です。
駅前というかホーム横の広場です。
昔の電車が保存されていました。
こちらの立派なモニュメントは、1869年にオーストリアのエンジニアと建築家協会によって建てられた「ゲーガ・モニュメント」です。
ゼメリング鉄道を設計したカール・リッター・フォン・ゲーガを讚えるモニュメントです。
ゼメリング駅を列車が通過していきます。
ゼメリング鉄道を含む路線はウィーンとオーストリア南部の都市グラーツや、国外の都市を結ぶ幹線です。
開業から150年以上を経過し、世界遺産に登録された今でも現役の路線で、頻繁に列車が走っています。
帰りはレイルジェットに乗って一気にウィーンまで戻ることにしました。
駅舎の前で待っていたら、列車はかなり先に進んだところで停車しました。
乗客が一斉に列車を追いかけます。
峠を下っていきます。
前方に見えるのは「グランド ゼメリング」というクアハウスです。
トレインビューホテルとしての眺めが期待できそうです。
岩山を貫くトンネル。
後日、橋とトンネルが見える展望台にも行ってみました。
ゼメリング鉄道沿いにはトレッキングルートもあるので、構造物を間近に望みながらの散策も楽しそうです。