寝る子のヌシのお泊り帳

旅好きヌシの宿泊(IHG系多し)乗り物&猫暮らし

かつてのホリデイ・インは今どうなってるの? Part1 日本初の1号店〜3号店まで

日本国内にかつて存在していた  IHG系列のホテルは今どうなっているのか?

以前にインターコンチネンタルは調べました。

 

今回はその第二弾。

我らが庶民の味方(?)ホリデイ・インです。

 

現在営業中のホリデイ・インの中で最も古いのは、2001年7月20日開業のホリデイ・イン仙台です。

開業からすでに20年以上経ており、つい最近リニューアルも行われました。

ホリデイ・イン京都

しかし日本国内における ホリデイ・インの歴史は20年なんてものではなく、今から半世紀近く前までさかのぼります。

そんな記念すべき日本初ホリデイ・イン はというと、1973年7月14日に開業した ホリデイ・イン京都 でした。

客室数は270室。地上9階建て。

住所は京都市左京区高野西開町36です。

うーん・・・一般的な観光には不便な土地ですね。

でも逆に ”暮らすように旅する” 的なノリであれば、地元に溶け込んでいる感じがしないでもありません。

そんな ホリデイ・イン京都 ですが単なる宿泊施設ではありませんでした。

100レーンあるボウリング場「京都スターレーン」、アイススケート場の「高野アリーナ」、ゴルフの打ちっぱなし「高野ゴルフセンター」、「ファミリープール」、名食名店からなる「ショッピングプラザ」も併設していました。

また、ホテルの3階にはカフェテラス、4階にはレストラン「ホリデイ」、さらに大宴会場や結婚式場も備えた「レジャーとスポーツの広場」を銘打ったホテルでした。

ホテルの経営は株式会社京都プラザ。

不動産賃貸を生業としており、資本金4億円、1971年6月に設立された会社です。

運営は関係会社の株式会社エイチ・アイ・プラザ(資本金1億円)と昭和紡績(資本金1億円)でした。

左京区の高野という利便性はあまり良くない土地故に、レジャー施設としての付加価値も付け加えたのでしょうか。

また宝ヶ池にある国際会館にも近いため、プリンスホテルが出来るまではオフィシャルホテル的な要素もあったそうです。

しかし2002年7月29日に整理回収機構東京地裁へ更生手続き開始の申立て。

負債は京都プラザが約326億300万円、エイチ・アイ・プラザが約139億5900万円、昭和紡績が約80億9900万円で、合計546億6100万円。

2002年10月11日、更生手続き開始決定。

その後2010年11月10日のプレスリリースで、ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ株式会社 (本社:東京都港区、代表取締役社長:A.G. ヴィリリ) が、2011年 1月 1日より、京都市内で運営するホリデイ・イン京都 (所在地: 京都府京都市、総支配人:黒田 拓也) を「ホテル アバンシェル京都」として新規開業することが発表されます。

ホテルの名称変更は、“ホリデイ・イン”ブランドを所有する IHG・ANA・ホテルズグループジ ャパン (東京都港区、最高経営責任者:クリス・モロニー) とのフランチャイズ契約が2010年12月31日に終了することに伴うものです。

ホテル アバンシェル”は、ビジネスからレジャーまで、あらゆる客層にグローバルスタンダ ードの視点から、ほどよく洗練されたサービスをこ提供するブランドで、国際観光都市でのアクティブな旅の拠点となるブランドを目指し、東京の赤坂に続く 2 軒目の“ホテル アバンシェル”として京都開業に至りました。

出典:ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ

しかし2013年1月27日にホテルアバンシェル京都は営業終了。

1月31日に閉館しました。

現在、ホテルがあった場所は「洛北阪急スクエア」というショッピングモールになっています。

2024年に開業予定の「シックスセンシズ京都」や「リージェント京都」のような高級ホテルも良いのですが、再び ホリデイ・イン の様な安価なブランドが京都に出店することを期待しています。

 

ホリデイ・イン成田

時代を追って日本にあったホリデイ・インを紹介していきます。

”世界ナンバーワン”ホテルチェーンの京都に続く国内2号店は、やっぱりとでも言いましょうか”成田”でした。

開業は1975年10月3日、地上12階 地下2階、客室数は254室でした。

ホテルの運営は株式会社成田プラザホテル。

出資者9人の中で4人が空港公団に用地を売却した元地権者だったことから「農民ホテル」などと呼ばれたそうです。

空港周辺に数あるホテルの中では、成田ファースト・シティホテル(現:成田ビューホテル)に続く2番めの開業でした。

しかし開港に先立っての開業や、他ホテルとの競合により経営不振に陥ります。

また気の毒なことに1977年12月22日には過激派による襲撃も受けました。

その後は1987年8月20日に東武グループが営業権を譲受して「ホリデイ・イン東武成田」に改称。

2011年1月1日には「成田東武ホテルエアポート」にリブランドされます。

数ある成田の空港ホテルの中では空港施設に近いこともあり、仮に通路などが整備されれば第3ターミナルまで徒歩連絡も可能な距離なので、非常に便利なホテルになるのになぁと思っています。

 

ホリデイ・イン東京

続いての国内3店舗目は、ホリデイ・イン東京(客室数128室)です。 

1976年7月に協和発酵工業株式会社と伊藤忠によって株式会社ホリデイ・イン東京が設立。

1977年11月15日にホテルが開業します。

住所は東京都中央区八丁堀1−13−7

現在はビジネスホテルが密集する激戦区でもあります。

 

その後2002年1月15日に営業を終了し、山梨県韮崎市に本社がある株式会社内藤ハウスが買収します。

2002年2月2日にホテルサードニクス東京としてリブランド。

ちなみに内藤ハウスは建設業がメインですが、「ホテルサードニクス」と「ホテル内藤」ブランドのビジネスホテル、さらには甲府駅前の「城のホテル甲府」を展開しています。

ホテルサードニクス東京(旧:ホリデイ・イン東京)

ホリデイ・インの頃は茶色の外観でしたが、スタイリッシュな外観に変りました。

古さを感じさせない建物だと思います。

 

ここまでホリデイ・インの日本1号店から3号店まで見てきました。

記事が長くなりそうなので4号店以降はまた別の記事で紹介します。